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 ヴァンダナ・シヴァという人物の存在そのものが、現代史の最重要事件の一つだとぼくは思っている。念願かなって、そのヴァンダナをこうしてDVDシリーズ「アジアの叡智」に迎えることができた。彼女はここで、刻々と進行する危機の時代がぼくたちに突きつけている一連の深い問いに、明快な答えを出してくれている。
 ぼくたち日本人はあの3・11東日本大震災とそれに続く福島原発事故で、人類が生存していくために、これだけは最低限必要だという条件―英語で言うボトムライン―は何か、という問いをつきつけられたはずだ。そしてその答えは、幼い子どもをもつ親たちが震災後に抱いた祈りのような願いの中に表現されていたのだと思う。
 「神さま、もう贅沢は言いません。どうかこの子に、汚れていないきれいな空気と水と食べものを与えてください」
 ボトムラインとは何よりもまずこの空気や水や食べもの。それらを求めて、多くの人々が放射能汚染地域からより安全な場所へと避難した。その一方で、高線量地域にいまだに幼い子どもたちを含む多くの人々が暮らし続けている。
 想定外というそらぞらしい言葉が飛びかった。外部性という好都合な言葉をもつ現代経済学の専門家たちも、水や空気や土や太陽エネルギーや生物多様性といった生物の生存に欠かせないボトムラインを、そっくり想定外に置いていいことにしている。
 今もなお流出し続ける大量の高濃度放射能汚染水も経済の指標には全く影響を与えない。置き場所もない放射性廃棄物を大量に抱えながら、その上にあれほどの事故を起こしながら、東京電力とそれを支える政財界は、いまだに、経済成長とグローバル競争のためには原発推進しかありえないと主張し続ける。
 水が汚染されて、ペットボトルの水が売れ、空気が汚れれば空気清浄機が売れる。それは経済にとってはいいニュースなのだ。
 この国ばかりではない。世界中で、経済と政治を牛耳る人々にとってのボトムラインは、お金だ。彼らにとって自然も人間も資源にしかすぎず、お金という富を増やすための材料や道具にすぎない。
 だから、日本の政財界のように、農・林・水産といった分野を、GDPの数字の上では取るに足らないものとして切り捨て、TPPなどを通じて、グローバル企業のための規制緩和と独占を推進しようとする。花咲かせ実をつける木ではなく、金のなる木に群がるのだ。
 アメリカ先住民の長老からこんな言葉が伝えられている。「人間が最後の木を伐る時、最後の川を汚す時、最後の魚を食べる時、人間はやっと気づくだろう、お金は食べられないということに」
 この予言のような言葉が、ますます現実味を帯びる危機の時代にぼくたちは生きている。そしてそれは、人類がこの窮地を脱するための道を照らし出すヴァンダナ・シヴァの言葉が、ますます輝きを増す時代でもある。
 ヴァンダナは、今世界に起こりつつある価値の大転換―お金を中心とする世界観から、いのちを中心とする世界観へ―を代表する思想家だ。科学者として、活動家として、世界市場の制覇へとつき進むグローバル大企業にとっての、最も手ごわい宿敵だ。そして、かつては分断支配されていた世界中の被抑圧者たちを結びつけ、「もう一つの世界」へと導く指導者でもある。
 この深まりゆく危機の時代に、ヴァンダナ・シヴァの言葉ほどぼくの耳に頼もしく響くものはない。来るべき時代の創り手となる方々がその言葉にじっと耳を傾けてくれますように。

2014年春